馬忠

馬忠 馬忠

馬忠
字は徳信。劉備が夷陵の戦いで敗れた際に援軍として派遣され、「黄権を失ったが、代わりに馬忠を得た」と劉備から評された。また、蜀南方の守備を任され、王平、鄧芝と共に「北の王平」、「東の鄧芝」、「南の馬忠」と並び称されるほどの名将であった。張嶷らと共に南蛮地方の平定に尽力し、異民族からも敬愛された。249年に没した際は任地の民以外にも異民族までも涙を流して馬忠の死を悲しんだ。
もどる